おはようございます。「翡翠の隠れ家」を運営している、たーです。
今回は、「風鈴の記憶」という長編ストーリー最終話をお届けします。
テーマは「記憶」と「ぬくもり」。
忘れてしまっても、心に残り続けるものがあります。
それは、夏の音や、手のぬくもり、そして小さな約束のような――。
この物語を通して、誰かとの静かな時間を、ふと思い出してもらえたら嬉しいです。
第4章「風鈴の記憶」
七月の終わり、午後の陽ざしが白く差し込む中庭。
空には入道雲が浮かび、風がそっと草を揺らしていた。
真央は、ふみさんと並んでベンチに座っていた。
その日は、真央が折った折り紙の星と、小さな風鈴を持ってきていた。
あの桜色の巾着袋の中に、ずっと大切にしまわれていた風鈴。ふみさんが真央にくれた、唯一無二の記憶のかけら。
風が吹き抜けて、風鈴が鳴る。
――ちりん。
真央はふみさんの横顔をそっと見つめる。
目を閉じて風の音を聞くふみさんは、どこかあの頃のような顔をしていた。
縁側で並んでスイカを食べながら、同じ音を聞いた、あの夏の日のように。
「ふみさん、風鈴って、やっぱり夏の音ですね。……わたし、この音を聞くと、ふみさんの家の縁側を思い出すんです」
ふみさんは、ゆっくりと目を開けた。
「……縁側……懐かしい響きね。誰かと、そこに座って……」
「そう。私と。……真央です」
言葉はやわらかく、でも確かな音で空に溶けていった。
ふみさんは真央の手に、自分の手をそっと重ねた。
その手は少しだけ震えていて、それでも温かかった。
「ねえ……あなた、昔よく来てくれた子じゃないかしら」
その声に、真央の胸がきゅっと締めつけられた。
「うん。そうです。……私、ふみさんに花の名前をたくさん教えてもらった。
折り紙も、クッキーも、風鈴の音も。全部、ふみさんと一緒に覚えたんです」
ふみさんの目が、ほんの一瞬だけ、まっすぐに真央を見た。
何かを思い出すような、いや、確かに思い出したような、そんな目だった。
――そして。
「……真央ちゃん」
名前を呼んだその声は、昔と同じだった。
優しくて、やわらかくて、心の奥まで届く声。
真央は息を呑んで、ふみさんを見つめ返した。
ふみさんは微笑んだまま、また風の方を見やった。
まるで、心の中の記憶がそっと風に揺れ、すぐにどこかへ旅立っていくかのように。
それでも――確かに、今、呼ばれたのだ。
真央はそっと目を閉じ、静かにうなずいた。
言葉にできない涙が、頬を伝った。
それは、「思い出してくれてありがとう」という涙だった。
数日後、ふみさんは静かに、眠るように息を引き取った。
苦しみもなく、まるで風が止むように、静かな最期だったという。
遺品の整理の際、桜色の巾着袋の中に折り紙の星が一枚、大事に挟まれていた。
そして、風鈴の下に添えられていたメモには、ふみさんの震える字でこう書かれていた。
「また来てくれて、ありがとう。
まおちゃん。いつまでも、お元気で」
季節は秋に変わり、真央はある休日、縁側に似たベンチに座って空を見上げた。
あの風鈴は、今も真央の部屋で優しい音を奏でている。
ふとした風に、ちりん、と鳴るその音は、ふみさんの声のようにやさしい。
記憶は時に曖昧で、すべてが残るわけじゃない。
でも、心に触れたものは、たしかに残っていく。
風が吹いた。
風鈴が鳴った。
――ちりん。
真央はそっと微笑んだ。
頬には一筋の涙が伝っていた
[完]
※この物語はフィクションです。
4週にわたり、読んで下さりありがとうございました。
今の時代、ご近所付き合いはもちろん、家族との繋がりも薄くなってきているなと感じています。
そんな中で、皆さんにも不思議なつ繋がりはあるのではないでしょうか?
それは家族かもしれないし他人かも知れない。もしかしたらその繋がりですら忘れてしまっているかも知れません。
皆さんのふとした記憶の中にふみさんの様な存在があるだけで強くなれたりするような気がしています。
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