おはようございます。「翡翠の隠れ家」を運営している、たーです。
今回は、「風鈴の記憶」という長編ストーリー第3話をお届けします。
テーマは「記憶」と「ぬくもり」。
忘れてしまっても、心に残り続けるものがあります。
それは、夏の音や、手のぬくもり、そして小さな約束のような――。
この物語を通して、誰かとの静かな時間を、ふと思い出してもらえたら嬉しいです。
第3章「折り紙の約束」
次の週、真央は折り紙を持って、ふみさんのもとを訪れた。
桜色、空色、若葉色。昔、ふみさんと一緒に使った、やさしい色の折り紙たち。
ふと、あのころの記憶が指先に戻ってくる。風の吹き抜ける縁側、笑い声、そして……ふみさんの、静かな優しさ。
病室に入ると、ふみさんは窓際の椅子に座っていた。
ぼんやりと遠くを眺めながら、小さな風鈴の音に耳を澄ませている。
「こんにちは、ふみさん。今日はね、ちょっと懐かしいことしようと思って」
真央は笑顔で声をかけ、そっと折り紙を差し出した。
「覚えてますか? 前に、折り紙で星をたくさん折ったの」
ふみさんは目を瞬き、そして、ゆっくりとうなずいた。
「……星……小さくて、かわいくて……ねぇ、誰と折ったんだったかしら」
真央は優しく答える。
「私です。真央ですよ。……忘れてても大丈夫。今日はまた、一緒に折りましょう?」
ふみさんは黙って、折り紙に手を伸ばした。
細くなった指先が、慣れないようにぎこちなく動く。
けれど、不思議と折り方は、体が覚えていた。
「……こう、折って……ここを、折って……あら……なんだか懐かしいわね」
「そうそう、そこをね、三角に……。ふみさん、覚えてるじゃないですか」
ふみさんは少しだけ笑った。その笑顔が、真央の胸にじんわりと広がっていく。
静かな病室の中に、紙が擦れる音と、折り紙の色が増えていく。
二人で並んで星を折る時間は、言葉がなくても満ち足りていた。
それはまるで、記憶の糸をたどって縫い合わせていくようだった。
星を五つ折ったころ、ふみさんがぽつりとつぶやいた。
「……昔ね、毎日遊びに来てくれた子がいたの。すごく元気で、花の名前が好きで、……私のこと、“ふみさん”って呼んでくれたの」
真央は手を止める。声を出したら、涙があふれてしまいそうで、そっとふみさんを見つめた。
「……その子ね、ある日、私に折り紙で星をくれたの。“この星を見たら、ふみさんのこと思い出すからね”って。かわいかったなあ……」
その言葉に、真央は目を伏せて、深く頷いた。
「その子……わたし、です。真央です。ずっと、ふみさんに会いたかった」
ふみさんはしばらく黙っていた。
風鈴が、ちりん、と鳴る。
やがて、ふみさんはゆっくりと真央の手に自分の手を重ねた。
「あなた……真央ちゃん?」
その名を、問いかけるように。
真央は涙をこらえながら微笑んだ。
「はい。わたしです」
ふみさんの目は、ほんの一瞬だけ、なにかを探すように動いて――それから、静かに揺れる風のように、記憶の奥へと戻っていった。
次の瞬間には、また、遠くを見るような目に変わっていた。
「ごめんなさいね……名前だけ、聞いたことがあるような気がするの。でも、なんだか、とてもあたたかい名前ね」
それだけで、十分だった。
今、この手にふみさんの手が重なっている。それが、どんなに尊いことか。
その日の帰り道、真央はふみさんの部屋のテーブルに、折った星をそっと置いた。
風鈴の下に、桜色の折り紙がひとつ。
まるで、音の記憶に寄り添うように。
記憶は、消えていくものかもしれない。
でも、心のどこかには、きっと何かが残っている。
折り紙の星のように――誰かと過ごした時間が、かたちを変えて、そっと輝いている。
続く…
※この物語はフィクションです。
コメント